ムーンプランナーの原型は、私が手書きで作っていたスケジュール帳でした。
土日が仕事だったので、曜日が月から日と並んでいるカレンダーは使いにくかった。
その上、もうひとつの「仕事」、つまり実家のレストラン再生計画がありました。

(大雑把な流れはその1で)

レストラン再生計画といっても、そう単純な話ではありませんでした。
もう実家周辺は過疎化などが進み、レストランなど外食産業が伸びていくような状況ではありませんででした。働きに出るといっても、働き先はほとんどありません。
特に私の母親世代が働きに行くところは限られています。
しかし、私は東京で自分の仕事をしているし、仕送りをするほど余裕もない。
ということは、実家でできる仕事を作るしかない。
しかも借金は着々と返済を迫ってきて、返せないなら家を手放せといってくる・・・。

うーん、困った。

でも、やるしかないなと思いました。
広い庭と家を手放したら、庭で放し飼いのもらいっ子だったセントバーナード(大型犬なので引き
取り手がつかない子だったらしいです)も、一緒に住んでる祖父母も住む場所を失うわけです。
父母だけなら、自分たちの作った借金のせいで家をうしなっても自業自得ではないかと思っていま
したが(おかげで私も大学にいけなかったなどとばっちりは受けました・・・)、もう逃げたところで逃げ切れない。

「3年、ふんばって。なんとかするから」

なんのあてもなく、私はそういっていました。

本当に何のあてもなかったのですが、とにかく何とかしなきゃいけない。
まず実家の設備を見て回ったのですが、もうぼろぼろで修繕するお金もない。でも唯一、業務用の
強力な泡だて器が動いていました。
この泡だて器と、鍋とバット、温度計。
材料は砂糖とゼラチンと水あめ、それに道の駅で売っているすっぱい果物。
これだけあれば手作りマシュマロが作れる。
以前、遊びで母が作っていたマシュマロを思い出し、それを売ろうと思いました。
たまたま母がネット販売などを以前試みたことがあったり、PC周りのことが好きということもあり
、だったら客が来ない田舎で店を開くよりも、ネットで販売するほうがいいに決まっているという
結論でした。
マシュマロを売ることにしてからも、正直何をしたらいいかはわかっていませんでした。でもやれ
ることをやるしかないし、自分でできることをするしかない。
保険に入るとか、商品開発するとか、やれることをやっていきました。

そのときに、ムーンプランナーは、実にいい働きをしてくれました。

まず約2週間というスパンなので、やったことの振り返りがしっかりできるのです。
一週間だと短すぎて、やったことの充実感がありません。特に最初の頃は何をやってものれんに腕
押し状態ですから、やった実感がほとんどありません。それでも2週間ほど見直せば、いろんなこ
とをやったなあと確認ができました。
これが逆に一ヶ月とかだったら、今度は長すぎて気持ちが続かなかったと思います。
しかも月の満ち欠けにしたがっているので、いつもきっちり2週間ではありません。短いときも、
長いときもあります。それが逆によいリズムになって、飽きがこなかったように思います。いつも
決まった長さだと、先を想像してしまうのです。想像が追いつかない偶然が最初から仕組まれてい
るカレンダーは、ダイナミックというか使い心地が独特で、自分で作ったくせにとても面白かった
のです。

もうひとつ、ムーンプランナーにはいいところがありました。

新月期間と満月期間では、やることのポイントが変わってくるということです。
新月からは、広げる・増やす・吸収するなどがポイントで、広告や人にお勧めしたり、新しい出会
いからきっかけを作っていったりするタイミングです。満月からは、調査や確認、無駄がないか調
整をしていくのがよい期間です。
そのため、満月を越えたら無理に広告を打つようなことはしない、とか、あまり結果が入ってこな
くても「そういう時期」だと割り切っていられるようになりました。新月からの広告を多く入れる
時期は、思い切り我慢せずにたくさん告知したり、嫌われるかもとかを考えずにぐいぐい人にお勧
めしたりしていました。

自分ひとりで動かしていると、そういう「大きな視点の切り替え」がなかなかうまくいきません。
それを自動的に月の満ち欠けが「はい、今は押せ押せでいってよーし」「今は待つのが大事。その
間に次の計画を練っといたほうがいいよ」と教えてくれる感じです。
しかも、一回のターンが大体2週間なので、あまり長くなく、かといってやりそびれるほど短くも
ないのです。どこかで一歩踏み出せばいい、ちょっとつらくても明日かあさってまででやめたらい
い、ということの繰り返しでした。

人間一人ができることって、ほんとに少ないんだなあと思いました。
頭ではあれもこれもと思っていても、実際にできることはつまらないほど「実際にできること」し
かできないのです。
でもそれを、いったりきたりしながら積み上げていくと、ある日突然大きな流れにぶつかることが
ある。という体験をしました。
それを成功というかどうかは、人によりけりじゃないかと思いますが、とにかく自分でそこに行く
ことができないと思っていた場所にあっという間にたどり着いたのです。
テレビに出たり、雑誌に載ったり、サイトのPVが跳ね上がったり、もちろん製造が追いつかないほ
ど売れに売れたり。
そこにたどり着くのに、わずか3年ほどでした。本当に宣言どおりでした。奇跡だと思いました。

もう今は実家のほうは実家に任せて、私は普通に東京で派遣社員でもしながら暮らしています。

ムーンプランナーは、外から見たときには一瞬で大成功を収めたように見える事柄を、後ろから長
い間地味に支え続けてくれました。
書き込んだことはそんなに多くなかったと思います。その日使ったお金とか、ちょっとした予定と
か。そんな程度でした。それでも私には十分な実感がありました。

次回は、ムーンプランナーでやりはじめた「新月の一人会議」について、書こうかなと思います。

moontakesyuukee