持つと待つを、小学生の時よく間違えて書いていました。

もつ、と、まつ
幼いころからよく使う言葉です。

大人になると持つものはどんどん増えていく一方ですが、同じように待つことも増えるかと思いきや、待つのはイマイチよくない感覚に支配される瞬間があります。

自ら率先して、指示や命令を待たずに自分で考えてやることがよしとされる風潮が、ヒリヒリと社会に満ちています。

これは就職活動がビジネス化してから顕著になったのでしょうか。何とも言えませんが、まあ、働くうえで先を読んで動いていくことはとても大事なので、間違ってはいないのだろうなあと思います。
ただ、たいして動く理由や意味も分からず、待たずに何かしろ!といわれている(ような空気が漂っている)から、やってみよう、ということは、実際のところそれほど意味を持たない結果に終わることが多いと思います。

そういう空気を出している人の機嫌を取るために、無駄なことをして終わる、というのがいつもの結末のような。
個人的な実感ですけれども。

子供のころ、散々勝手なことをするな、先に行くな、走ってはだめ、そこで待っていなさい!といわれて育ってきたのに、大人ゾーンに入った途端に「待ってるだけでは使えない人間」とか言われるなんて、おかしな話です。

でも本当は、待つことがなくなるなんてことは、ないのです。
時間がある限り。

すぐに結果がほしいし、あっという間に飛び越えていきたい。
それは素敵な願い事だと思います。
ただ、今の地球じゃちょっと無理かな、ってこともあります。

最近、筋トレを始めました。
実際さほど効果が出てこないのですが、働きながらの朝10分だけ汗をかきながら筋トレしています。
なんとなく始めたので、満月を数日過ぎたころからでした。
月の満ち欠けセオリー的からすると、新月からの時期のほうが筋肉も付きやすいといわれています。でも、なんとなく今やりたかったので、練習ってことでいいかなと思ってやっていました。
実際やってみると、血行が良くなって肩こりなどが改善されますし、一週間も過ぎると満員電車でのふらつきがかなり減りました。
ただ、足が細くなったとか、腹筋が割れたとか(目指しているわけではないですけど)、目覚ましい効果が感じられるわけではありません。
その時、ふと「今は筋肉を目覚めさせる段階だから、次の新月期間でさらに筋肉を働かせて、その次の満月期間にシューっと細くなるといいなー」と段取りを考えている自分に気づきました。

外側から見たら、ただ延々と筋トレを数週間続けるだけ、ということです。
でも、ムーンプランナーを眺めながらのわたしは、もっと具体的にその数週間を痩せるまで待つことができるのかもしれません。

本当は、待つことはとても重要です。

自分の力の及ばないところへ到達しようとするときは、必ず待つ時間がどこかに生まれます。
筋トレやダイエットも同じで、いますぐ痩せた自分になるには、今のムクムクした身体をメスで切り分けるぐらいしか方法がありません。

その「待つ」時間は、よく人を苦しめます。
痩せたくないわけじゃないんです。待つのがつらいんです。
子供の時、待ってなんかいられなかったでしょう?あんな感じで、待てないんです。

だけど、大人になって本当に大切なことは「待つ」という時間との付き合い方、コントロールの仕方だったりします。
アグレッシブに待たなくては、いろんなことが進みません。
休みの日に食料品を買って、一週間の献立の準備をすることも、待つことです。(まだその食事の時間は数日先なのですから)
子供を育てることも、大部分は待つことだと聞いています。
失恋の悲しみを癒すのも、大きなものを失ったつらさを癒すのも、待つしか方法がなかったりします。
そして、待てない子供に「待ちなさい」と教えてあげることも、大人にしかできません。

ムーンプランナーは、だいたい二週間ほどで見開き1ページが終わります。
次のページではテーマが変わります。
待つつらさは、それだけで半減します。
そして「次の新月が来るまでは待ってみよう」「満月が来るまでは待ってみよう」と楽な気持ちで思うことができる気がします。

先に予定や夢、こうなるんだというイメージを先走って書いてもいいし、ただ見つめるだけで何も書かずに日付が過ぎていくのをまっていてもいい。毎日あったことを書き込んでもいい。
それはあなただけのページです。

待つこと。

それはけしてあなたを苦しめるものではない、ということを、きっと大人になったあなたはわかっているはずです。
それを思い出す手助けに、ムーンプランナーが役立てばいいなあと願っています。

 

「安定がはぐくむ豊かさ」や「続ける力」を支配する牡牛座の新月に

bullandyuukee