今は月がどんどん細く薄くなっていく時期です。「手放す」「終わる」タイミング、といわれる時期です。

でも、数日後にはまた新月となって暗闇を経た後に、新しい月が細く細く生まれなおします。
この「手放す」「終わる」とは、どういう意味なのでしょうか。

何度も何度も文字通りひと月ごとに始まっては終わっていく。
この終わりとはなんなのでしょうか。

そんなことを考えていてふと思い至ったのは、終わるということは「失う」ということとはまた異なるのではないか、ということです。

終わりが失うことだと思うから、なんだか怖いし寂しいし切ないし、胸がキュウッとなってしまって、できればそんなことはないほうがいいと思ってしまう。始まりがあれば終わりがあるというけれど、終わりなんかないほうがいい。そんなふうに思っていました。

でも、そんなふうに「失う」ことは、別に月が消えたからといってそうそうおこる訳でもない。

「終わる、手放す」は、「失う」とはイコールではない。
急にそんなふうに思いました。

だから、重いものは手放してもいい。
薄い月が消えてもまた必ず戻ってくるように、きっと必要なものは帰ってくる。
あるいは、手放したくないと思うなら手放さなくてもいい。
知らないうちに月が消えるように、知らないうちに「本当に不要なもの」は消えるようになっているのだから。

意識的に何かをすることも大切ですが、意識の至らないところでもいつだって大切な営みが続いているし、その見えない部分をもっと信じてもバチは当たらないはずです。
(意識して努力することも大切ですけどね)

「手放す」ということは、ただ今の自分の目で見えない場所に行くだけの話であって、ちゃんとその先があるのだと思います。
だから、手放したって大丈夫。
失われてしまうわけではないのだから。

何かにしがみついていないと心が保てなくて苦しい思いをしたときに、そのことを思い出せたら、きっといいのだと思います。
きっと、大丈夫です。

手放したその向こう側で、ちゃんと新しく細い月がまた姿を現すように、正しい何かが正しく進んでいるはずです。