似たようなテーマが続いていますね。今回は、開運。
「月の満ち欠けの手帳を作っています」というと、「へー、そうなんだ。じゃあ今度開運方法を教えてよ!」と言われることが数回。

月の満ち欠け=開運(?_?)

え、開運?
うーん、開運。

いやあの、わかるような、わからないような。
なんぞ効果はあると思うんですけど、私はお寺で修行したとか秘伝の風水技法を4000年の歴史から紐解いた師匠についた事もないので、なんていうか、軽々しく「月の満ち欠けで開運しましょう!」とは言いにくいのです。

そもそも、開運ってなんだろう。
ここに来て、なんでだかそんなことを必死で考えるようになりました。

たとえば金運だったら、ほしいだけお金が入ってきて、好きなものをたくさん買ってもお金はぜんぜん余っている!みたいな感じでしょうか。
恋愛運だったら、好きな人から告白される?都合のいい相手からモテモテになるとか?
仕事運は、やりたい仕事ができて、しかもバリバリ結果がでるとか。

これらをじっくり考えていくと、「開運」という名前を借りて多くの人が自分の強い欲望について語っている事に気づきました。
ちょっとみなさん、欲深い!

でもですよ。
むしろ、開運というワードを絡めないと自分の欲望を口にできない状況って、あまり良くないんじゃないかと思ったのです。
欲望というのは、もっとシンプルなものも多かったりします。
「もっとお金がほしい」なら、場合によっては素直に働けばいいわけです。
金運ブレスレットを買う前に、できることはたくさんある。
でも、なぜかその素直な欲望を表現できないし、それに気づくことさえ抑圧されている人が実はものすごく多くて、それが「開運」という入り口を見つけてドバーッと・・・
みたいな状況になっていないでしょうか。なんとなくそんな感じがしてしまったのです。

開運を望むのは、よいことだと思います。
少なくとも、誰かを呪って苦しむよりも、自分を強く押し上げようとする気持ちです。

それと、開運は「ひとつの通過点」でしかないような気がします。
マラソンの給水所みたいな。
大事なのは、開運したあとどうなっているのか。どうなっていたいのか。
そういうことなんだろうな、と思うのです。
給水に成功してもタイムが伸びなかったのでは、やっぱり意味がないし。
一時的に開運グッズで運気をあげたとしても、「運気が上がった後の自分はどうなっているか」がちゃんとわかっていないと、開運グッズも「いやちゃんと仕事しましたけど(‘_’)」みたいなことになりそうです。

私自身は、月の満ち欠けで「開運」したという実感はあんまりありません。
ただものすごく自分以上の力を出す事ができて、それを長い時間維持できたという感じです。
それを開運というのなら、そうなのかもしれませんが「開運」という言葉のような他力本願さは皆無!全部自分でやったとは思いませんが、そうなるように緻密に計算して計画してありとあらゆる努力を自分ができる範囲で全部やった!といえるほどやり尽くしました。それを運がいいの一言で片づけることは、人に対しては「私は運が良かったから」と言えても、自分に対してその努力がなかったかのように振る舞うのはできません。
我が強いといわれたら、それまでかもしれないですけども。

今は、そこまで爆裂する勢いで突き進んでいる訳じゃないので、あんまり自覚がない感じです。
よく報告される月経周期が月の満ち欠けに沿ってくる感覚もなくて、ここらへんはなんとなく寂しい気持ち。
人の体質はそれぞれなので、自分の体質主体で考える方がいいとは思うんですけれども。
でも気になるので、自分のサイクルをじーっと観察中です。

開運をのぞむ、というのは、やっぱりチャンスだと思います。
自分の望み、欲望がはっきりしてきたということだから。

金運がほしい!(あるいは他の運気でも)となったら、とりあえずすぐにできることがあります。
それは「その金運ががっつり手に入ったら、自分はどんなふうになっているだろう」と想像することです。

なにが手に入って、何がなくなるのか。
月の満ち欠けメソッド的には「お金がはいったら手に入るもの」と「お金が入ったらなくなるもの」の二つの方向から考えます。(ここら辺の詳しい方法は、いまガイドブック的なものを作ろうといろいろ準備しています)
お金なら、毎月残高が増えていく通帳が手元にあって、買いたかったものを楽しく買っていて、お買い物に罪悪感を感じることも、お金がなくなる不安におびえる事もなくなって、人前にでるのに恥ずかしい思いをする事もなくなる・・・。
そんなことを想像します。

まず、想像してみる。
それにはお金も、誰かの許可もいりません。
開運は、その後からでもいいと思います。

開運グッズも、ほしければ探したり手に入れたりするといいんじゃないかなっておもいます。そういうのって、やっぱり楽しいし。
わたしは作ることができないけれど、こっちの方が運がいいといわれると、気持ちは傾きます(吉祥モチーフを入れてデザインする事は多分相談してできるとは思うけど、それで絶対開運するとは言えないですしね)。

月の満ち欠けを使った開運方法っていうのも、きっとあると思うんですけど、私からはうまいことご案内できません。この日に何をして、これを食べて、っていうのは、あまりに個人差があり過ぎて、ひとくくりにはできないと思うからです。
食べ物に関してはアレルギーとか様々な体質的な問題もあるし、仕事で時間の自由が利かない人はたくさんいるし。
それに、その開運アクションができなかったから運が下がるとか言うのは、あまりにも短絡だと思います。

大事なのは、やっぱりその人の心の状態が、ちゃんとしていることだろうと思います。そして身体の状態も安定していること。
時に爆発するような攻撃的な毎日が続く事もあるし、何ヶ月も停滞した闇の中に閉じこめられているように思う日々もあるけれど、どんな状況でもその人の心がちゃんとしていること。
そんなことが、なんとなく大事なんじゃないかと思います。

そこから更に「開運を!」となったら、きっと素直な欲望が動き始めたということなんだろうとおもいます。もっと欲望に素直に、幸せに生きていく人が増えるのはすごくいいことのように思います。