さて、ムーンプランナーとは関係ないけどみんな気になる「引き寄せの法則」
っていうけど、ぜんぜんうまくいかないじゃん。

それって、もしかしていろいろ誤解があるんじゃない?ってことをクドクドと考え続けて3回目です。
今回は、さらに踏み込んで、願いを叶えるシステム解説にちょいちょい出てくる謎ワード、宇宙について。

前も「なんで宇宙が突然でてくるのか」という事で、いろいろ悩んでいたんですがね。(つくよみ雑記から「宇宙にとどかなくても願いは叶う」)
宇宙って言葉がすんなりくる感覚の人は、それでいいんじゃないかと思いますが、正直ワタシにはいまいちピンとこなかった……。

大体、宇宙って言葉は、この文脈に入ってこないよね……
宇宙ってもっとサイエンスな、天文学的な、JAXAとかNASA的な、はやぶさみたいな、そいういう話じゃないの…

という感覚で、この単語をとらえている人は結構いるんじゃないの?と思うのです。口には出さないけど。

それなのに、「宇宙は愛が溢れ、豊かさと幸せがあります」とか言われても「……人間が住めない、生きていくことができない場所なのに?」というあたりで思考のルートが止まってしまって、しかたなく「宇宙は愛が溢れ、豊かで幸せ…」と字面だけ受け入れようと試みている、みたいな。
お経は意味が分からなくてもアリガタいものです思考。
ぎゃーてーぎゃーてーはらそーぎゃーてー。

いやでもね。
良く考えてみたんです。

宇宙って言葉を当てはめているものは、いったい何なのか。
その「愛に溢れ、豊かさと幸せがある」スペースってどこのことなのか。
(宇宙は英語でスペース。場所、空間とも訳せます)

考えてみると、私たちが引き寄せの法則で叶えたい夢って、すっごい世俗的なものが多いと思うのです。
お金が欲しい、恋人が欲しい、結婚したい、昇進したい、いい仕事して楽しく暮らしたい。どれもこれも、とっても世俗的。

これって、全部社会の中での事ですよね。

社会って、単純に会社に行って働く方法とか、政治のあり方とか、福祉についてとか、そういうことだけじゃないです。
人間の行る場所のこと。そこに時間も重なると、ご先祖様とか、カルマとか、運とか、バイオリズムとか、そういうのまでひっくるめて社会です。そこに自分も絶対に参加しています。関わりが薄いと感じている人も、社会との関係が薄いという関わり方でその一部を担っています。
日本の八百万信仰で行くと、神様もいっぱいいます。妖怪もいるし、犯罪もあるし、いろいろ困りごともあるけど。
だけど、社会の中で誰かが助けてくれたり、お金を融通してくれたり、社会のために働くことの実感がやりがいになっていたり、つまり私たちは社会で暮らし、社会で生きています。
叶えたい夢も、目標も、大体この社会の中のものです。
宇宙空間で「3億円ほしい」とかは無意味ですが、今の生活している社会の中では3億円には価値があります。

宇宙を社会に変えてみると、とたんにすっとなじみのいい言葉になります。

「社会は愛に溢れ、豊かさと幸せがある」

すごく納得です。
ガッテンボタンを連打したくなる納得感。

社会って、政治のこととか会社の働き方とか、そういうことだけではありません。それらはひとつの枝葉でしかなくて、なにか失敗をした時に助けてくれる人がいて、理由は特になく「困っているみたいだから」みたいに見返りも求めない事があったり、「おまえのじいさんに世話になったから、困ったら頼りに来なさい」といわれたり、いいことが続きすぎると交通事故にあったりするとまことしやかに言われたりするような、大きなエネルギーの塊です。
それって、引き寄せの法則関連本によくある「宇宙」というワードが表現しているものにかなり近い感じがあります。

社会は愛に溢れて、豊かで幸せ。
だって幸せそうなカップルは街を歩き、立派なビルがあってその中のすてきなお店のオーナーはお金を使ってすてきな商品を作り、売っている。
町を離れて郊外に行けば、畑を耕す農家の人が真剣に植え付け時期を考えながら、強い意志でなにかを作り出している。
この社会の中で、私たちはそれぞれの問題を抱えつつも、夢を持ち、生きている。この社会は愛に溢れて、豊かで幸せだ。

これは、いま生きている社会に対する信頼感があるかどうか、ということを問われているのかもしれません。

発達心理学の授業で聞いたのですが、子供は信頼を持てる体験をたくさんしなくてはいけないといわれています。欲しいものが手にはいる、そばにいて欲しい人がちゃんとそばにいる、信じたことがきちんと実行される環境がとても大切で、その時に社会に対する信頼感を育て、それが人生の基盤になっていくのだそうです。
でも、何でもかんでも信じてしまうようではいけなくて、裏切られたり騙されたりする事は、もともと持っている自分で考え判断する力を伸ばしていきます。実際、社会や、その社会がある自然というものは刻々と変化し、一歩間違えると命取りの事がたびたびあります。その時に信頼して緊張感を失っていたり、変だなと違和感を感じても逃げるという判断ができないと、大変危険だということです。
この信頼感と疑いの割合は、人によって様々なのですが、信頼感の方が疑いよりわずかでも多ければ十分だと言われていました。
信頼する力を持つこと。疑う力を持つこと。両方を矛盾せず持ち合わせることができます。そして、そのふたつがぶつかるときは、信頼する力が少し上回っている人の方が、この社会では生きていきやすい。
そんな内容でした。

もし、この社会が愛に溢れ、豊かで幸せなものだと信頼することができたら(たとえ自分がひどい目にあっていても!)、それこそ「引き寄せ」が起こるのではないかと感じます。

引き寄せは、つまりは「社会に対する信頼感」でもあると言い換え説明ができるのではないか。

これが、社会学とか福祉とか心理学を学んでソーシャルワーカーの勉強をしていた私の、今のところの結論です。

人の心理と社会の構造や在り方と、それぞれの人の感受性(どのように社会を受け止めているか、また学習の仕方やコミュニケーションの癖など)が重なり合ったもので「生き方」というものが出来上がっていくのではないか。
そんな中で願いをオーダーしているのはどこなのか、というと、神様だったりご先祖様だったり、人によっては守護霊様や天使などなど、いろいろです。それらは社会の形の中で形成された概念で、それを支えているのは人の心理だと思うのです。
(純粋にそういうエネルギー体があったとして、それをどうとらえるかという話です)

だから、私たちが願いをオーダーしている先は、自分自身の深いところと、この社会がつながっている場所で、なおかつ自分で把握し切れていない「大いなる場所」なのじゃないかな、と。

それを、宇宙という言葉で表現するのか、それともこの現実社会の延長上にある場所だと実感するのか。

もし「やっぱ愛があって豊かな場所って宇宙だろ!宇宙がぴったりくるわ」という人は、宇宙というワードでいいのだと思います。
でも、私は宇宙という場所は、荒涼として生命の存在を拒むような場所という子供時代に読んだ科学の本のイメージがどうしても強くて、ちーっとも実感がないのです。

実感を持って「愛に溢れ、豊かで幸せな場所」といえるのは、やはりこの「社会」だと思います。
願いの種類が「さらに高潔な魂となりたい!」みたいなものなら、宇宙に願うのもいいと思うんですが、結婚したい!恋人が欲しい!お金欲しい!なら社会でうまくやっていかないとダメだろうし。

そもそも社会に対して自分がどんなイメージを持っているかってことを考え直す機会なんか、生まれてこの方ほとんどなかったです。
ほとんどの人がそうなのではないかなとも思います。

いい事も悪い事もある。場合によっては輪廻転生みたいなものもあるかもしれない。
そういう社会にいま生きているっていう事を、肯定的に「YES!」と捉えられるかどうか。

それが根底にあるとしたら、いろいろすっとばして宇宙にお祈りすることは、ちょっと飛躍しすぎて上滑りしてしまっている事もあるでしょう。今まで習ってきて、把握してきた社会構造とあまりにかけ離れているので、はしごを外されてしまっている感じになっているのでは?と思うのです(そのほうが神秘的な感じも出ますし)

とりあえず、宇宙の豊かさを感じ取るワークをしてもピンとこないなら、この社会の豊かさと素晴らしさに感動するのでもいいような気がします。

もちろん、たくさん問題がある社会です。
でもそれをよくしていくのも、私たちの関わり方ひとつです。
人智を超えた動きを持っているのも、この社会です。
常識とか、現実とかを、あり得ないような出来事で飛び越えていく、それが起こるのもこの社会です。
社会は自然の上に成り立っていて、その自然は地球の上にあり、地球は宇宙の一部であって、つまりは社会は宇宙の一部であるという事も全然できちゃうのですから、宇宙に対する願いはすなわち社会に対する願いでもあります。
そして、人の住めない宇宙に願いを飛ばすより、この社会を信じていくほうが簡単にやりようを見つける事が出来る人も、多いと思います。
(なかには宇宙が!というくらい突拍子もない考え方をする方がアイディアがどんどん出てくる感覚の人もいるので、それはそれ)

引き寄せの法則の罠その3は、いきなり飛躍して宇宙に願うより、もっと手近な社会を信頼するほうが的確じゃないかな?ってことでした。

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