願い事鬼教官の話しがやたらと人気があるのですが、その前に。

願い事を書こうとすると、嫌な気持ちが起きて、どうしても願い事を書けないというケースをもう少し詳しく見ていきたいと思います。

願い事をする時、いえ、願い事というより「こうなりたいな」という事を書き出すだけの時でも、私たちは自動でとある心の動きが起きます。

それが役に立たない取引です。

叶えたいと思えば思うほど、この役に立たない取引が発生してしまいます。

なぜなら、私たちは今までそのように訓練されてきたから。

子供の時から、
・我慢したら
・がんばったら
・静かにしていたら
・いい子だったら
・いう事を聞くなら
などと、いろんな取引を持ち掛けられ、なんとかそれをクリアしたり、クリアできなかったりしながら、大人になりました。

それはけして悪い事ではなくて、そうやって自制心を身につけたり、社会性を獲得していったわけです。
けれども、その代償として、私たちは奇妙な取引を覚えてしまいました。

我慢したら、手に入る。
真面目にやれば、褒めてもらえて、いい評価がもらえる。

そういった、精神的な取引を、反射的にやってしまっているケースがとてもたくさんあります。

取引にはいろんな種類があります。

我慢する、苦しい気持ちを味わう、イライラする、というマイナスの感情になることを取引の材料にしている人は、けっこういます。

または、罰を受ける。
自分で「これができなかった、なんてダメなんだ」と自己卑下に走るのは、罰を受ける事で何かを手に入れようとしている取引の形でもあります。

取引のルールは「こんなにこんなに苦しんで頑張ったんだから、ご褒美として夢をかなえて!」

でもね、私たちは大人になってしまって、夢や希望を叶えてくれる親や先生や周りの大人たちはいません。
それに、私たちの叶えたいことって、誰かが叶えてくれるようなものじゃない事も多いです。
だから、これらは「役に立たない取引」なのです。
ところが、そこは頭ではわかっているのですが、なぜか願い事を考えると、自動的に、無意識的に取引モードに入ってしまう。そういう事がとても多いと思います。

よく「引き寄せの法則」といって、いつもいい気分でいていい波動を出していればそれに結果が引き寄せられるという説が唱えられていますが、それほど間違っちゃいないとは思うんですけど、その「いい気分になる」ためにまず「頑張って苦しんで、いい気分になります!」という取引が自動で始まっていた場合。
それは、まず「苦しむ」が最初にあって、その上に「いい気分になる」が乗っかっているので、ベースは苦しいんです。
だから、「苦しみつつ、無理していい気分になろうとして、余計疲れる」という事になる。
まったく当然の結果です。
最初に、まず苦しい思いをしなくては、と思って、それを実行しているのだから。

これはもう、対策としては取引をやめるという事しかありません。
そして、取引をやめて、正しい努力に切り替えるのです。
残念ながら、間違った取引をしている時は、正しい努力ができていない事が多いです。取引を達成するために頑張ってしまうので、どうしてもエネルギーが足りなくなってしまいがちです。

でも、それがむずかしい!

なので、まずは「取引」を知ることが重要になります。
自分はどんな取引をしているのかな?
願い事や自分の希望を考えるときに、なんとなく嫌な気持ち、嫌な感じが出てきたら、それが「取引」の内容である可能性は高いです。
どんなふうに嫌なのか。
なにがそんなにイライラするのか。
どうして悲しいのか。
どういう事が苦しいのか。
そこを、少しずつ、少しずつほぐして見ていく。

まずはそこからです。

もしからしたら、自分はネガティブな性格なのだと思っていたけれど、ネガティブな感情をたくさん感じるという取引をいつもしていただけ、と気づく人もいるかもしれません。

けして気持ちのいいものではないかもしれません。

けれど、いつも何かにつまづいている見えない石があると感じている人ほど、あと少しでそれが解ける場所にいるのです。
だから、少しだけ、その心の見えないものを、そーっとほぐしてみて下さい。

そして、もうひとつ。
今は信じられないかもしれませんが、取引をしなくても、夢は叶いますし、希望は通りますし、欲しいものは手に入ります。

コンビニに行って好きなお菓子を選んで、それを買うお金があれば、レジに持っていくと購入することができます。それと同じで、そこに「苦しまなくてはガリガリ君は買えません」とか「深く反省し、自分はダメな人間だと自覚しなくてはこっちのシュークリームはダメです」とかはないのです。
ちゃんとお金と、レジに持っていくというルールさえ守ればいいのですから。

私たちは、欲しいものがあるとき、たとえばクッキーを買う時に「これを買うには、真面目さをアピールするためにストイックに苦しい気持ちを実感しなくては、買う事を許してもらえない」みたいなことを、毎回自分の中で繰り返しているようなものなのです。

とある分野だけにそういう取引が起こる(恋愛だけ、友人関係だけ、あるいは買い物にだけなど)という事もあります。
条件によっては、同じものでも取引が起きたり起きなかったり、変わる場合もあります。
なので、まずはとにかくじっくりと、自分の「嫌な気持ち」を見つめる余裕を持つことが大切です。

そうすると、聡明な人は、今までの成功体験なども交えながら
「確かに、別に苦しまなくても、できるわな!」
と、ちゃんと理解できます。

すぐにそこにたどり着かなくても、まずは「自分はどんな取引をいつもしているのだろう」と感じ取って、その理由をなんとなく理解し始めると、その取引が役に立たないものだとわかることも多いです。

逆に、その取引にどうしても固執してしまう人もいると思います。
苦しまなければ、許されない。
そういうケースは往々にして、他者にもそれを要求しますし、口では言わなくても「そのように見えない人を心底軽蔑する」という態度を取ったりします。
大事なのは、取引をやめるかどうかではなく、その人が生きたい生き方になっているか、というところだけだと思います。だから、「わたしは全力で苦しみ、苦しみぬいてこの一生を終えたいと思います!」という人は、それを全うするのが幸せだと思うのです。
固執するには、きっとそれなりの理由がある。
だから無理に引き離す必要もない、という事も、どこかで覚えておいてもいいんじゃないかなと思います。

正しい努力というのは、必ず結果をくれます。
でも、正しい努力のふりをした「役に立たない取引」で、努力した気になっていると、全然夢はかないません。
しかも、役に立たない取引は、ものすごい努力した気分になるんですよね。
本当は夢を叶えたくないのではないかと疑うほど、エネルギーを奪っていきます。

願い事を書くときに、何か自分の中の感覚を感じ取るというのは、とても意味深いものだと思います。
自分の中のエネルギーを感じ取ることができるのです。
そして、それが自分の意志とは違う方向に行っていたとしても、そこには何かの理由があるはずです。
それを知ることができる。
願い事は、願いを叶える以上に、自分自身と向き合うツールになってくれます。

そして、ネガティブな気持ちほど、自分自身の事をちゃんと教えてくれるのです。
「いつもハッピーなことだけ考えてよい波動を出しましょう!」なんて言わないで、大切にしたいものなのです。

どの感情も、大切なあなた自身ですから。