今日は月食です。
皆既月食が観測されるので、一部では「桜と月食の赤い月が撮れるチャンス!」と言われ盛り上がりを見せているようです。
東京の桜は、名残の花となっていますけれど、それでも美しいです。
花は名残となりましたが、月は満月。
満月は「完成」「結果」などを表すとされます。
ひとつのピーク。
なんとなく、わたし自身の周りでも「結果」が形として現れてきているなあと実感しています。
そして、一番感じることは、「完成した結果」というのは、もれなく「次のスタート」という切符を渡してくれるという事です。
たとえば大きな賞を受賞した。その結果、より質の高い新しい仕事が来るようになった。
とか。
わたしの事でいえば、ずっとムーンプランナーを昨年からコツコツ作ってきて、ちゃんと売上が立つようになって、商品の質を上げるための資金ができたり。ムーンプランナーブックを販売した結果、もっとこういう形のものが必要かもしれないと、より充実した商品を作る込むチャンスになったり。
でもこれらは、やっぱりなんとなく叶った夢ではないと思います。
ずっとやってきて、ずっと作ってきて、売って、同時に別の仕事をして自分の生活を立てて、ふたりでああだこうだ相談して、やり始めたらいろんな障害が次々現れて、時にウンザリして時に気持ちだけが先走ったりしてきた結果にたどり着いた場所です。
現時点、多くの人に「晴れ舞台」と認識してもらえるようなポイントではないのですが、ものすごく意味のある大切なポイントを通過しているような気がします。
列車のレールの、切り替わるポイントのところ。
ちょうど蝕はそういうタイミングにあるようにも思います。
ここで右に行くか左に行くかで運命が大きく違ってくるんだけど、その時にはわからない、という場所。実はそこがとてもその人にとって何より重要なポイントなのかもしれません。
不思議なことに、人間には自分ではわからない大きな無意識が自分の中に入っています。
これはムーンプランナーのひとつのテーマでもあると思うのですが、その自分では自覚できない部分、あとにならないとわからないような事などがたくさんあります。
簡単に一つの事象をラッキーだとかアンラッキーだとかは言えないのです。塞翁が馬の法則とでもいいますか。
月の満ち欠けは、その見えない部分のめもりのような指標になると感じています。
月が満ちかけるからその影響が現れる、という考え方もひとつではありますが、実際はもっと大きな単位の動きではないかと思っています。
いろんな事象には、それぞれのリズムがあります。
月の満ち欠けの影響より、温度のほうが影響力が強いとか、気圧のほうが関係してくるとか、日照時間のほうが重要だとかいう事はたくさんあります。
でもそれらのリズムは、結局大きな自然のリズムにも従っているので、いっけんバラバラに見えても、なんとなく月のリズムとタイミングがそろって見えることが多い、という事ではないかと思うのです。
そういう大きなリズムというのは、なかなか日常生活ではつかむことができません。
それは、つかまないほうがいいから、つかめないのだと思います。
毎日歴史的観点から「今日はこの服を着ようかな」などと選択するなんて、アホらしいかぎりですし、「突然カレーが食べたい!」というのを「それは天文学的なリズムで考えると存在しないも同然だからカレーでなくてもよい」なんて結論付ける人もいません。
でも確かに私たちは歴史的な、天文学的な流れの中に存在しています。
その一端をつかむのに、月の満ち欠けのリズムが実にちょうど良く、私たちにとって親しみやすい形なのではないかと思うのです。
月の動きがそうさせるのではなく、そこまであった事の自分ではつかむことができないリズムが、なにかの拍子にそろうタイミングがあって、それはだいたい満月とか新月とか、蝕とかのタイミングでパチッと並んでくる。
月の満ち欠けの影響って、そういうことじゃないのかなと思っています。
だから、月の形がどうだから幸運だとか不運だとかは、基本的にないと思っています。
蝕だから、何かが起こる訳ではないのです。
むしろ、私たちが「そうなるように」したことだけが現れてくる。
そういうことじゃないのかなと。
そして「そうなるように」というのは、何も意識的にできたことだけではなくて、自分では自覚がないまま頑張っていた事とかもちゃんとカウントされていて、思いもかけない形で現れてきたりもします。
それが、たとえば満月とか、蝕のタイミングで現れてくる。
きっとそれだけの話なんじゃないかと思うのです。
だから、そうなるように生きてゆけ、ということなんだろうなあと。
(by B’z)
天秤座の満月、皆既月食の日に