年に数回、日食と月食があります。
それが、ムーンプランナーに書いていある「蝕」です。日食も月食もまとめて「蝕」という表記になっています。

蝕についてはいろいろな説があって、とにかく共通していることは「大きなインパクトがある」ということです。

ずっと「蝕」が自分自身にどんな影響をもたらすのかじっと観察していました。が、正直これといった実感はあまりありません。
ネットの書き込みを見てまわっても「すごーく悪いことが起こった」という人たちと、「蝕はインパクトが大きいって言うよ」という解説の2パターンくらいしかなく、いまいち何が起こるのか、はっきりしません。
インパクトが大きいということは、けして悪いことがおきるということではないと思うのです。すごーーくいい事だって起こるはず。3億円当たるとか。

蝕は区切りだといわれています。大きな節目、みたいな扱いです。
なんとなく私のイメージでは、一学期が終わって二学期が始まる(けど実質休みはなし)みたいな感じでしょうか?
なにかクラス替えがあるわけでもないし、なにかが変わったわけでもないけど、新しい学期になりました(あ、そういえば教科書が下になったな、くらい)という感じ。

区切りというのは、一方的に与えられるものと、自分自身で区切りをつけるもののふたつがあると思います。
蝕は、前者。一方的に、まさにカレンダーどおりの区切り。
時間がたてばそうなるという区切りです。
そこに自分自身が「ここまででひとつの段階」とやる区切りが重なるかどうかは、実際のところ別問題なのだと思います。

でも、この一方的な区切りというのは、時に人を救うのだと思います。

すべてを自分自身で区切りがつけられることは、なかなかできません。
全部を自分で決めるなんてこと、本当はできないのです。
なにかを終わりにすることも、なにかを中断することも、再開することも、どれも全部自分自身で決めて行うことは、(それが理想とされていたとしても)難しいのです。

そんなふうにしか生きられなくても、時間の流れはどこかで「区切り」をプレゼントしてくれます。
それは、心にふっとわいてきた「ああ、もうこれで十分だ」という感じであることもあれば、今回のように「蝕」なのかもしれません。

だから、そのインパクトはなんなのかはっきりとわからない事も多いかもしれませんが(逆にすっごいビビッドにくるかもしれないけれど)、時間はちゃんと「区切り」をさりげなく用意してくれているということではないかと思います。
それは、いい・悪いで判断できるようなことではないと思います。

振り返ったとき、そこが区切りだった。あるいは、いつの間にかそれは終わっていた。そんな区切りがたくさんあって、私たちは何とか生きていっている可能性だってあります。

自分自身で区切りをつけることができなくても、時間はちゃんと区切りをくれる。それが「蝕」とか、夏至とか年が明けてお正月が来るとか、そういうことじゃないかと思うのです。