下弦の月の頃は、「手放す」時期とされています。

毎日(ではないけど)できるだけ月の相をTwitterでお知らせしたり、こうやって何かを書いたりしているので、それなりに「今がどんな時期」というのは把握しているのですが、実のところ個人的にはそこまで気にしていないのです。

いや、以前はものすごく気にしている時期がありました。
新月の願い事的なひとりミーティングの時間が取れなくなると、大変不安なような、イライラするような感じがしていました。
ものすごく損をしたような感じ、というか。

しかし、人間は不快感に耐性があまりないのです。
実際のところ、イライラするほどコンを詰めて月の満ち欠けタイミングに向き合っていく理由も意味もない、という事が数か月の間に、ばれてしまいました。

なにがばれたかって、自分にとってそれはあんまり意味がない事なんじゃないか、という事です。
きっと役に立つし、事実ものすごくうまくいった時期もあったけれど、今の安定している生活にはさほど重要じゃない、という事に気づいてしまったというか。

それは、ある意味今までの自分を否定するようなニュアンスでもあって、なるべく見ないようにしていた事でした。

でも、うーん、あんまり影響ないかも・・・。

こう感じていたのは、ムーンプランナーをつくるより結構前の事です。

だけど、やっぱり効果がある、意味がある、必要としている人もいるだろうという結論になって、わたしはそれを作り販売するチャンスを待つようになりました。その後、アートワーク担当とたまたまタイミングがそろったので、今がチャンスとばかりに旗をあげたというわけです。

この「月の満ち欠けってそんなに影響ないのかも」という体験も、それはそれで正しい感覚だと思います。
個人差はあると思いますが、安定して何不自由ない生活になっているときは、あまり満ち欠けを使ってアグレッシブにスケジュールを作っていく意味はなかったりします。
本当に効果があるのは、やはり明日をも知れない状態の中、手探りで進んでいくような時でしょう。
それ以外にも、植物の育成など、いろいろ影響があるので、それはそれで面白いと思うのですが、毎日の生活で野菜を育てるわけでもない日々ではあまりピンと来なくなってしまうのは、当然なのだと思います。

その「ぴんと来ない」時期があったから、月の満ち欠けに振り回される必要はなくいつでも満ち欠けの力を取り入れられるという実感も得られたし、振り回されたからこそ必要な感覚を得られたんだろうなと思います。
今では「今やりたいことにあわせて、月の力を取り入れる」みたいな感覚を感じる事が多いです。
(ムーンプランナーが半年一冊なのは、ぴんと来ない時期は使わないとしても一年分の手帳より罪悪感がないから、という意味もあります)

 

でもここ最近、なんだかいろいろ重なりすぎて、動きが悪くなっている感じがしていました。
いますごく、プレッシャーがかかっています。トーク&オフ会が突貫工事で進んでおり、MOON PLANNER BOOKも二冊同時並行で制作中です。すごいです。でも会社にも行っています・・・。日々の発送に関わる事とか、その他権利関係についての書類とか、もう頭がちぎれそうなかんじです。
(まとめてやるからいけないんだけど、まとめてやった方が圧は強いけど一度にできるしっていう横着心が原因)

そのプレッシャーが、なにか変なところで強くなって、作業全体がストップしていて、すごくイライラしていたのです。
美容室にもいかないといけないし(4カ月も行ってなかったし!)、服をいくつか買わなくては。
でも、イベントや制作をするために会社を休むと、それだけ収入が減ってしまうから、あまり何かを買うとかできない・・・。
電車代だってかかるから、出かけずに、家で制作しなくては・・・。
でも、部屋が散らかる一方で何も手につかない。おかしい。

そうなってから「欲しいものは今持っているものを手放さないと入ってこない」「出すから入ってくる」という文字をあちこちで見かけていました。ネットとか、電車の広告とか。なんでだろうな、下弦の月の頃だからかなと、ぼんやり思っていたのですが。

手放せ、手放せっていうけれど、何を手放すのだろう。なくなっていく一方なのに。

と思った瞬間、気づいたことがあります。
「わたしは貯金が減る事をものすごく恐れて、それで身動きとれないんじゃないの?」と。

それなりにお金にまつわる怖い思いもしていたので、わたしは極端に「お金が減る」事が怖いのです。
しかし「お金がない」事にはさほど恐怖を感じません。減るのが怖いのです。
あまりの恐怖心のせいか、わたしはお金を持つこと自体、あまり好みませんでした。持っていたら減るから。なければ減らない訳です。

「もしかして、貯金が減ることを恐れるっていう事に、執着していたの?」

わずかな貯金を守ることに執着して、もっとやらなくてはいけないことが全くできなくなっていた。
みたいです。

じゃあ、手放す事ってなんだろう?
「お金を守る事で自分に鎖をかけていることに気づいて、それをやめるための一歩を踏み出す」

でも手放すってたって、どうやるの?
モノみたいに捨てるとか、片づけるわけにもいかない、心の中の事なんだけど。

しばらく考えて出た答えは
「その鎖がなくなったらどうなるのかを、いまやってみる」
「できる範囲で。でも少し背伸びして」

そうかも。
という事で、服を二枚買いました。
本当はジーンズ一本だけのつもりが、思ったよりお値段が安かったので(ありがとう無印良品)想定していた予算でブラウスも一枚。
制作に直接関係はないけれど、必要なものだった(けどお金が心配で買えずにいた)ので、これが最初の突破口。
それでも、なんかこう、清水の舞台から飛び降りるような気持ちです。

手放すというのは、目に見えるものだけじゃないんだなあと、しみじみと実感しました。
目に見えないものを手放すという事は、非常に難しくて、なかなかできません。
ていうか、しなくてもいいものだったり、それがなくては生きていけない事があったから、その目に見えないルールが自分の中にある訳です。
特にお金に関することは、非常に難しいです。
完全に手放して、いつでもあるだけ使っちゃうっていうのは、ちょっとダメです。
だけど、お金を守るあまり、何もできなくなってイライラするというのも、もっとダメ。
わたしは新しいMOON PLANNER BOOKも秋冬版ムーンプランナーも作らなくてはいけないのです。それが最大の使命です。お金よりそっちが大事なんです。ていうか、それをつくるためにお金が必要なので、そこにお金をどんどん使わないといけないんです!

それがよくある話ですが、いつの間にか手段が目的化してしまって、自分で自分を縛る事に陥っていました。

本来、手放す時期の下弦の月の頃は、具体的にものが減る場合が想像されます。
でも、今回は「心の中の不要なルール」を手放してみると、実際のところモノは増えました。
見た目だけにこだわっていては意味がないんだなあと、改めて感じました。

ただものを捨てるだけではなくて、心の中の不要なものも、きちんとしまえるようになるには、まだもう少しかかるかもしれません。