「明日という日は永遠に来ない」

とある手帳の本に書かれていた一言です。

明日というのは、実際にその日が来ると「今日」になっていて、「明日」ではない。
この一言が、わたしにとって時間というものと、手帳というものを考える入り口になりました。

その本は、大ベストセラー「夢をかなえる人の手帳術」です。
私が読んだのは、手帳も販売される前の、初版にちかいものでした。

↓ 今は改訂版が購入できるみたいです。名著。

 

時間というのは「今日」「明日」みたいな点で動いているかのように思っていたけれど、実際は「時間の流れ」というかたまり、少なくとも点ではなく線、あるいは帯状のモノという感覚が浮かび上がってきました。

これが、月のリズムと重なると、とても鮮やかな効果を作り出すのです。

しかし、月のリズムを気にしている人が持っている多くの傾向が新月や満月のみを気にする、というピンポイント型である可能性が出てきました。特にムーンプランナーを使ってみたいけど、いまいちうまく動かないという人の様子をうかがうと、「この日は大事、でも普通の日は大事じゃない」という細切れの感覚で時間が流れているようなのです。

そのような感覚だと、確かに満月や新月はフェスティバル感覚たっぷりで楽しいですが、そうじゃない日がつまらなくて仕方なくなります。
しかも「普通の日」の日数のほうが圧倒的に多いのです。これではつまらなくなるのは当然です。

細切れの時間感覚は、せわしないです。
いつも時間がない、追い立てられているような感じ。
エンデの「モモ」の中に出てくる時間泥棒たちが盗んでいくのは、この細かな時間の粒です。

しかし彼らは、「時間のかたまり」は盗むことができないようです。

時間が細かな粒や、点ではなく、かたまりだと感じ取るのは、結構難しいなと思います。
特に社会の動きは時間を点にして表示してきます。
たとえば8/10、15:32 6番線東京行き発車、というふうに。
18日 20時スタート、とか。
時間の点を掲げることで、全員の基準をそろえる事ができます。
のんびりさんも、せっかちさんも、その時間という点を目指せばいいからです。
でも、それが「自分の感覚にそっているか?」というのはまた別問題です。

私たちは子供のころから「時間を守るように」と教育されてきています。
時間通りに学校に行き、席について時間まで先生の話を聞いたり、授業を受けたりします。
社会で生活するために、団体行動を覚えたり、時間を守るために時計の読み方を習ったり、算数でたかし君が池のまわりを走っているところを後ろから兄が自転車で追いかけたりする問題を何回も解くはめになります。

でも、なかなか「自分のリズムは他人と違っている事があるけれど、それを崩し過ぎると病気になるよ」とか
「他人には他人のリズムがあって、それを勝手に崩そうとすると喧嘩になるよ」とかは
教えてもらえないのです。

そのことを最初から分かっている小さな子もいますし、大人になってもわからなくて、厄介なことになっている人もたくさんいます。
大人と子供の時間の流れ方は違いますし、同じ人であっても楽しい事をしている時と嫌なことをしている時でも時間の流れ方は違います。

それが見えなくなってしまっているのは、「時間のやり取りが点で行われる事」のせいじゃないかなーとわたしは思っています。

もともと時間は「今日」という点、「明日」という点ではないのだけれど、便宜上、点として扱わないとむずかしいものなので、時間そのものが点だと感じている人がすごく多いのではないか?、と。

手帳、スケジュール帳というのは特に見えない時間をどうにかつかむためのツールとされているので、点の集合体です。
使い方次第では、単純に点をマッピングしていくだけのものになります。
場合によっては、さらに時間を細かく刻んでいくという使い方を推奨しているケースもあります。
バーチカルタイプの手帳が難しいのは、それで帯状の時間を把握することができればいいのですが、逆に自分の時間をさらに切り刻んでしまうケースもあるからです。

 

月の時間もひとかたまり

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ムーンプランナーは、見開き1ページがひとつの時間のかたまりです。

新月から満月のページは「はじめる」「増えていく」「吸収する」時間が流れています。
満月から新月は「完了」「終わらせる」「不要なものを手放す」時間が流れています。

時間のかたまりは、ずっと同じでは感じ取ることができません。ハッキリと切り替わりがないとダメなのです。そういう意味でも、新月と満月にぱっとページが切り替わり、全部の空気が変わっていくことで「時間のかたまり」を感じやすくなっていきます。

しかも、月のリズムは半年ごとに繰り返します。
新月や満月の欄には必ず星座が書かれています。
たとえば双子座の新月に始まった事は、半年後の双子座の満月にひとつの大きなターンの完成を迎えるとされています。
半年前の、ある意味新月だった以外にこれと言って意味のない日が、ひとつのフックになり、「少し大きな時間のかたまり」を感じ取ることができます。

一年が二冊に別れているのも、はっきりと切り替わりを感じるためです。
半年前の事でも前の手帳を見るとなると、かなり前の事のように感じる事もあるでしょう。
そこにしっかり時間の経過を感じる事ができます。「時間が経過した」という実感が充実感につながっていくのは、ある程度の重みがなくては感じにくいものだからです。

ただ今日明日だけで時間の感じ方が点から線に変わることはほとんどありません。

ですが、ムーンプランナーの見開き1ページを二回か三回くらい繰り返してみて下さい。
時間は点ではなく、線、または帯状だと思いながら。
今はこんな時間の流れなのかなと感じながら、時間のかたまりを想像してみて下さい。
そして、新月や満月にはパッと新しいページに切り替えて、すがすがしい気持ちを感じてみてほしいのです。

毎日のスケジュールを消化していく中、たったそれだけのことで、時間の細切れが与える苦しさが、急に減ったりします。やっていることは何も変わっていなくても。

単純な事なので、毎日考えなくても、「今は上弦の月の前で吸収力が高まっている時期だから、美容ドリンクでも飲んでみるか」とか「満月過ぎたばかりだから、ちょっとお酒は控えておこうかな」とか、なんとなく自分の状態を感じ取り、ちょこちょこメモしておくと、なおよいと思います。

なんとなく、でいいのです。
意識的に取り込み、潜在意識を湾曲させることはできませんし、それはだいたいPTSDとかトラウマとか呼ばれるようなひどい状態になりますから、日常的にはおすすめできません。なんとなく、今の時間という感覚を感じ取り、ただそれが点ではなく線であるという意識でそれを見てみる、それだけで十分だと思います。

明日という日は、永遠に来ない。
ただ今日がまた始まるだけ。

それが時間に関わる唯一の方法ですが、「とらえ方」はもっと自由です。
点から線へ、帯へ、時間のかたまりをつかんでいけば、静かに、確実に、自分を追いつめる時間の使い方は減るのではないかと思うのです。

むずかしいんですけどね。

 

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