手帳を作って売る手帳メーカーになるなんて、ぜんぜん考えても願ってもいなかったけれど、なんだか手帳メーカーになってしまいました。

それまでは単純に手帳は好きで、手帳売場をずっと眺めていられるような感じの人間でしたが、別に職人として手帳屋になろうという気持ちはぜんぜんなかったので、実際に手帳を売り始めて手帳マニアという存在に気づいた次第です。

で、そこでいろいろ驚く事があったのですが、たくさんの声の中で、妙な違和感がある声がすごくありました。

「使いこなせないから、やめておく」
「使い方がわからない」
「使い道がない」

わかります。別になにも間違っていないんです。
でも何か違和感がある。

最大の違和感ポイントは、使いこなせなさそう・・・と使う前から悩んでいるという事です。
いや、どれにしようか悩むのは楽しみのひとつですが、それにしてもそういった声がよく目に付く訳です。

「そんなことないのに。単純に予定をマンスリー手帳に書くのってそんなに難しくないと思うし、それと同じ事なんだけどなあ」
「そうやってふつうに使うだけで、不思議なほど時間の流れ方が違うのになあ」

でもこれは、使ったことがない人に伝えるのは、なかなか難しいんですね。
シンプルな事でも、作って売っている人がいうとセールストークっぽさがどうしても出てくるし、シンプルなことほど聞き流されてしまうのです。

もっと「テーマをwork/lifeに分けてペンの色を変えて記入します」とか「重要な事項をふせんに書いて実行する日に貼り付けます」など、小技のような細かい情報の方はしっかり見ている人が多いけれど、「予定を書きます」というシンプルすぎる事はなんだか伝わらない。
(実際、日記に使っている人の方が多いみたいです。予定を書く使い方がベストなわけではないので、もちろん日記的な使い方もすごく良いと思います。特に枠が小振りなのでちょっとだけ書く人には白紙の圧迫感がなくて大変好評です。CM終わり・笑)

作り手、売り手の意図が最重要ではないので、なにも困ることはないんですが、どうしても気になるのでずっと考えていました。

その理由について、ふと先日見かけたツイートやお客様のメッセージから「手段の目的化の弊害」というテーマが浮かび上がってきました。

手段の目的化というのは、よく聞く言葉ではありますが、よく考えてみるとこんな感じ。

「もっと作業を簡単にして効率を上げよう!」として「作業を簡単にする」を手段とします。
目的は明文化されている部分と、そうでない部分があります。ここが実はポイントになっています。

目的その1は「効率を上げる」。
目的その2からは明文化されていませんが「作業する人のストレスを減らす」あたりでしょうか。
そして、目的その3は? たぶん「作業する人が楽になることで、作業内容がさらにきめ細かくなる」とか「完成度が高まる」「商品の数が増える」などですね。
結果、経費削減につながったり、お客さんからの評価が高まったりします。

明文化されていなくても、目的は先の先まであります。
最終的には、たとえばうちみたいな商売だったら「作業が楽になって、よりたくさん商品を販売することができて、欲しいと思う人に届ける数が増える。喜んでもらえる人が増えて、うちにもちゃんとお金が入って、また次の手帳を作ることができる。もしかしたら利益が出ればさらに素敵な商品にステップアップすることもできる」となるわけです。
ちなみにこの見えない目的、明文化されていない先の先の目的の事を「ビジョン」とか「理念」と呼んだりします。
個人の生活なら、ライフテーマとか人生で成し遂げたい事とか、そんな感じでしょうか。

でも、「作業を楽にする」しか見えなくなると、何でもかんでも手抜きして、楽にすることが目的になってコストをかけて楽にする方法を選んでしまう。
自分たちでできる作業を外注に出したら、確かに作業は楽になりますが、その分の手数料や工賃を支払ったら利益が吹っ飛んでしまって、次の手帳を作るお金がない!なんて事になるかもしれません。

これが、手段(=作業を楽にする)が目的化してしまって、明文化されていない大事な目的(=よりたくさん販売して利益を生み、よりよい物を作る)が消え去ってしまうということです。

手帳を使うときに、その「手段の目的化による弊害」はちょくちょく起こっているみたいです。

人によって、いろいろな種類の目的があります。
中には「きれいな手帳を作る!」というのが目的の方もいます。
コラージュ作品を作るような意味で、毎日きれいなイラストやデコレーションで美しい手帳を作り上げていくのは、もう伝統的な趣味でもあり、ビクトリア時代の貴婦人の手帳などはもう美術品です。そういう物を作る目的の方も実際多くて、それはそれは素敵な作品が日々作られていて、あまり公開はされずにひっそり楽しまれているというのも、なんて素敵なんだろう、素晴らしい人がたくさんいるのだなあと思うのです。

でも、全員がそういう目的ではないはずです。

けれどもあまりに美しい手帳を見てしまうと、あこがれも手伝って「あんな素敵な手帳を作ってみたい!」と思いはじめる。
それによって、本来の自分自身の目的がとたんにぶれてしまって、美しい手帳を作るという手段に終始してしまい、しかもあまり得意ではない人がそれを始めてしまうと思うように作れない悔しさなどもあってどんどんストレスになっていってしまう・・・。そんな状態が、手帳が好きだからこそ起こっているようなのです。

なんとなく「使いこなせないだろうから、買わない」という使う前から否定的なイメージを持っている方は、もしかしたら、そういう手帳を使うことについて「手段の目的化による弊害」に巻き込まれて、ずいぶん苦しんだり傷ついたりしたことがある人なんじゃないかなあと。

でもその手帳に興味があって、使ってみたくて、だけどまた使うことがストレスになるんじゃないかなと思って、おびえてしまう。
そして「使い方さえ覚えたらできるんじゃないか」という期待と、使い方がわからないから使えないんだという理由付けで、なぜ自分が手帳を使う事をストレスに感じ、挫折して、自尊心がひどく傷ついたのか、についてはあまり心が向かないのです。

だから「(使ってみたいけど)使いこなせないだろうから、買わない」と、なぜか最初から言い訳のような事を自分自身に言っている人がいるんじゃないかなあと。そう思ったのです。
言い訳って、他人に対していうもので、自分に対していう必要は全然ないんですけどね、どうにも折り合いがつかない事や自分の気持ちにウソをつかないといけない時には、人は自分自身に言い訳をします(値段が高すぎるとか、ね)。
言い訳しないと、心が痛んでツラいからです(:_;)

別にムーンプランナーに限らず、あらゆる手帳に関して、そういう事が起きていると思います。

もちろん、自分の目的が明確が故に「使わない」という判断の方もいます。
でもそういう人は「使ってみたいけど使いこなせないかも」なんて物欲しそうな事はいわないし、そもそも選択外のものは頭にない事がほとんどです。

自分が挫折したこと、自尊心が傷ついたことを見るなんて、嫌なことです。
あまりやりたくありません(私も)。
でもそういった挫折の前には、絶対にその要因になったストレスがあります。

そのストレッサー(ストレスの原因)はなんなのか、ちょっと考えてみると、この「手段の目的化による弊害」がある可能性はとても高いと思います。

そして原因がわかってくると、途端に問題解決の糸口が見えたりもします!

(つづき→)

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